双極性障害 虎の巻

双極性障害を患った人間が綴る、双極性障害完治への過程や双極性障害とは何かを綴る闘病記

回復期(中期)の症状とどのように過ごしていたか(2)死にたい気持ちとの闘い

さて、今回は人生最悪の鬱期について、書いていきます。

思い出すのもヘビーですが、今は向き合えるくらい元気ですので、どういう経過を辿ったのか書いていこうと思います。

 

 

夏が終わろうとする頃、秋口に差し掛かって、私はうつの真っ只中にいました。

前回書いたように、どうにかして鬱に入らないように努力してみましたがその甲斐むなしく、鬱に突入していきました。

しかし、同じ鬱でも今回の鬱は【今まで経験したことのない人生で最悪な鬱】だったのです。

 

 

急性期や回復期の前半でも鬱状態はありました。

その時の症状は、

  • 全てがスローモーションになる
  • 動作が遅い
  • 頭が回らない
  • 何から手を付けていいのかわからない
  • 順序が立てられない
  • 準備に今までの倍の時間がかかる

といったものでした。とにかく頭に突然ブレーキがかかったように動作がスローモーションになってしまうというのがその特徴でした。

 

しかし、今回は違います。

その決定的な違いとは、【死にたい】という気持ちが絶えず出てくることです。

 

 

どうして、そのようになってしまうのか?

前回の鬱と違ったのは、『頭は回る』ということです。

急性期の鬱は、とにかく動作が遅くなって、明らかに自分でも「あれ?おかしいな?頭が回らないな。フリーズしたパソコンのようだ」と自覚できるくらいでした。

しかし、今回は、そのような頭が回らない』感覚はなかったのです。

いくらでも頭が回ります。

だから、いくらでも嫌な妄想が出来てしまうのです。

 

 

一度死にたいと思い始めると、もう止められません。

なにせ頭は回るので、どんどん嫌な妄想が出来てしまいます。

・どうやったら死ねるか?

・どんな方法があるか?

そんなことをずーっと考えてしまうのです。

 

そんなことを考えてしまう自分が恐ろしくて、でもその妄想を止められなくて、

どうやったら今の状態から抜け出せるのか?どうしたら楽になれるのか?

そう考え始めると、答えはいつも【死】に辿り着いてしまう。

そんな状態になっていました。

 

 

来る日も来る日も、死ぬことばかり考えていました。

毎日、起きられずにベッドの中で一日中「死にたい」「早く楽になりたい」「この状態から早く解放されたい」それだけを考え続けていました。

 

 

急性期は死にたいとは思いませんでした。

頭が回らないので、死を意識することもできないのです。

でも今は違います。

頭はいくらでも回ります。これが急性期との決定的な違いです。回復期の鬱が一番怖いのです。

 

 

当時の日記があります。

その時の心理状態が刻銘に記されていて、かなり切迫感があります。

これを見てもらうと、どれだけ追い詰められていたのかがよく分かると思いますので、

そのまま載せようと思います。

 

 

以下日記の引用↓

「 一人は辛い。寂しい。孤独に耐えられなくなる。家族や友達にも言えない事はある。心配させたくないから言えなくなる。

  でも本当は苦しい。辛い。助けてほしい。怖い。いつか死んでしまうかもしれない。
死にたくないのに。生きたいのに。
  酷い鬱が私を飲み込んでいく。怖い。壊れてしまいそう。助けて。一人でいると何をするかわからない。突発的に死のうとするかもしれない。
  怖い。死にたくない。どこに行けばいいの?
どこにいたら安全?死のうとしなくて済む?
  家にいるのが怖い。何をするかわからない。薬を飲むか、包丁を取り出すか。痛いと思ったら生きたいと思うかもしれない。そのために死のうとするのか。
  家は怖い。危ない。外に出て、どこに行く?遠くに行ったら帰ってこない。近くにいないと。近くて安全な場所。死のうとしても死ねない場所。
  家の近くの橋。あそこなら金網が張ってある。飛び込めない。安全。あそこでずっと座っていようか。
  でも何かが襲ってくる。じっとしているのが怖い。動いていないと飲み込まれる。逃げなきゃ。逃げなきゃ。どこへ?
  誰か捕まえてて。私を捕まえて見張っててほしい。バカなことをしないように。
  死にたくない。生きたい。なのに怖い。苦しい。逃げたい。もう嫌だ。こんな現実いつまで続くの?こんな人生もう嫌だ。死にたい。死にたい。
  希望が欲しい。生きる希望。このために生きたい、まだ死ねない、そう思える何か。漠然とした夢物語じゃなくてもっと身近な、些細な事でいいのに。このために、これを叶えるために生きたい。心の支えになる何か。
  今死ぬことを止める何か。強い動機。衝動に勝てる何か。
  無いのは分かっている。だから辛い。怖い。死ぬことを選ぶ理由はあっても、思い留まる理由が見つからない。
  死ぬのはどんな気分か。死を受け入れるのはどんな気持ちか。」

 

 

如何に自分が死に憑りつかれていたのかがよくわかります。

読み返しても辛いものがあります。

しかし、これが死を選んでしまう人の心理状態なんです。

 

 

死にたいという気持ちは、恐怖から来るものです。

決して、普段から自殺願望があるわけではありません。

ですが、その時

「何かすごく恐ろしいものが自分に迫っていて、今すぐここから逃げないと飲み込まれてしまう」

そんな感覚なんです。

 

その恐ろしいものから逃れるために死を選んでしまう、それがうつ病や双極症患者の実際です。

 

 

急性期のほうが、同じ鬱でも怖くないんです。

よく「回復しかけが怖い」と言われている理由はこれだったのか、と経験してはじめてわかりました。

あの恐ろしい感覚は二度と経験したくありません。

二度と経験したくないがために、私は治療を頑張っているのだと思います。

 

 

この時、実際家から飛び出して、あちこち走り回ったのを覚えています。

とにかく一人でいると何をするかわからない状態だったので、一人で家にいないように、

かといって遠くへ行くと帰ってこないような気がしたので、なるべく家の近所ででも危なくないところへ、と思い外であちこち歩き回っていました。

 

ようやく、夕方になって家族が帰ってくる時間になってから家に戻って、家族がいるからこれで死ななくて済む、と安心したのを覚えています。

 

死ねなくて安心する、という今考えると何とも恐ろしい心理状態です。

しかし、これが鬱の現実でした。

 

 

この恐ろしい心理状態との闘いは、1カ月は続いていたと思います。

のちに混合状態が出現するので、躁とうつの両方が入り混じっている期間がありますが、うつ状態としては死にたい気持ちを抱えたまま、その気持ちと闘っていました。

 

 

鬱単体で考えれば、急性期の鬱のほうが楽です。

寝ることしかできませんし、実際寝ることが一番の薬になる時期です。

 

しかし、回復期の鬱はそうはいきません。

寝ているだけでは回復しません。適切な薬物治療が必要になってきます。

家でじっとしているだけでは、治らないんです。

 

 

死にたいと思い始めたら、危ないサインだと思ってください。

そして、すぐにでも医師に相談してください。

 

家族に言うと余計に心配させる危険性もあります。

よっぽど家族が病気に対して理解が出来ている場合や、家族との信頼関係がきちんとできている場合は言っても大丈夫ですが、そうではない場合、また言いたくない場合は、まず医師に相談するのが先決です。

 

 

私も医師に診察時に相談しましたが、

「家族に言うのは慎重にしたほうがいい、その代わりいくらでも医者に言ってきていいから。困ったときはすぐに電話してね。」

と言われて安心したのを覚えています。

 

 

鬱でどれだけ追い詰められているかは、見た目ではわからないと思います。

本人が言わない限りは、急性期でも回復期でも見た目は同じで、ただ寝ているだけです。

しかし、実態は全く異なるものです。

より恐ろしい回復期を放置すると大変なことになりかねないので、回復期のうつ状態が疑われるときはとにかく一人にならないが重要になってきます。

 

 

離れていても一人にならないことが大切です。

困ったときに頼れる誰かがいるだけで、今死にたい気持ちを乗り越えることができます。

支えてくれる人がいるということは、病気と闘うには大切なことなのです。

私は幸いにして、友人などの力を借りてどうにか乗り越えることが出来ましたが、あの状態は本当に二度と経験したくありませんね。

 

 

今回は死にたい気持ちとどう闘って乗り越えようとしていたか、について書いてみました。

次回も、この続きを綴っていこうと思います。