双極性障害 虎の巻

双極性障害を患った人間が綴る、双極性障害完治への過程や双極性障害とは何かを綴る闘病記

回復期(前期)の症状とどのように過ごしていたか(2)軽躁状態の出現

さて、前回の続きです。

回復期の特に前半について綴っていきます。

f:id:rs18goal:20200530114723p:plain

私が回復期と呼んでいるのは1年半程度の期間です。前期というのはその最初の5カ月間を指しています。

波の底辺では正常範囲を外れた鬱の中にかかっていますが、波の高いところ(躁状態)は正常範囲の中です。

なので、躁であっても、「調子がいい」程度の躁なので、本人も躁であることに気づかないのです。

 

 

前回、会社を退職して、会社に退職を申し出たストレスの反動で、鬱に逆戻りした話をしました。

その続きです。

 

 

晴れて無職になった私は、やっと胃の調子も戻ってきたことだし、しばらくは落ち着いた生活をしようと思っていました。

ですが、そんな時に知人から仕事を頼まれます。

 

私の状態は知っていたので、その上で頼まれたので、まぁそんなに難しいことじゃないんだろうと思って引き受けたのですが、これが間違いでした(苦笑)

期間は1週間程度だというので、主治医にも相談し、「1週間なら、現状を把握する意味でもリハビリの意味でもチャレンジしてみてもいいかな」と許可をもらったので、やってみることにしました。

 

しかし、いざやってみたらこれが酷かった。

最初に聞いていた仕事内容とはかけ離れたような仕事ばっかりで、ストレスがたまる一方。

また、私の以前の働きぶりが頭にあるので、遠慮なく仕事を振ってきます。

でも、こちらは病気持ちです。しかも脳の病気です。脳みそが正常に動くはずがありません。更に、退職ストレスで体の状態も2か月前に逆戻りしています。私はそれを決定的に自覚していないまま仕事を引き受けてしまったのです。

仕事の手順を教えられても、守るべきルールや情報の多さに圧倒されて、パニックになって泣いてしまいました。

 

「やっぱり引き受けるんじゃなかった、まだ私には早かった。」

そう何度も思いました。

 

一度うつ状態になると、否定的な言葉ばかりが浮かんできます。

「引き受けるんじゃなかった」

「まだ私には仕事をするには早すぎた」

「こんな私じゃ迷惑をかけるだけだ」

「足手まといが自分のわがままで使ってくれと言っても、通るはずがない」

「私は何もできなかった」

「頼まれたことも満足にできない人間なんだ」

 

様々な否定形の言葉が頭を埋め尽くします。

 

一度鬱になると、もう何をしてもダメです。

朝は起きられないし、起きても頭が働きません。準備に数十分かかります。

調子のいい日と悪い日が交互に来ました。前日頑張りすぎると翌日は朝起きられないんです。

しかし、その知人も私の実情を知っていながら最終手段で私に仕事を頼んできているので、見捨てはしませんでした。

それが何よりの救いでした。

 

収穫もありました。

ずっとじゃありませんが、時々昔の私に戻ったように、情報量が多くても集中して仕事をこなせる時間帯があったのです。

まさに「私が戻ってきた」感じでした。

病気でも、鬱があっても、これだけのことをできる自分もいるんだ、と発見することが出来ました。

 

一週間、出来ないなりになんとか仕事をこなし、そして、解放されてからは何とも言えない達成感がありました。

知人もありがとうと喜んでくれていました。少しは役に立てたのだと思います。

 

 

そんなハードな一週間を過ごした後は、しばらくのんびりしようと思っていたのですが、ここで誤算がありました。

 

仕事をしている最中は、調子のいい日悪い日が交互にきていたので、仕事が終わった後も疲れてしばらくは倒れているんだろうと思ったのですが、

そうはならずに、むしろ脳が活性化してしまったようで、活動的になってしまい『躁』になってしまったのです。

 

それからの日々は、じっとしているどころかあれこれやり始め、遠出もし、とにかく動き回っていました。

 

しかし、本人は躁の自覚はありません。

躁といっても、著しく逸脱するほどの躁でもなく、あくまで正常範囲の中。でも躁であることに違いはありません。

 

 

この頃は、よく掃除をしていました。

普段洗濯と掃除が日課なのですが、それ以外にも床を拭いたり、机の上を拭いたり、サッシをきれいにしたりと、とにかくいつも以上の家事をしていました。

家族もそれには気づいていて、

「掃除をやりすぎちゃダメだよ。疲れてまた倒れちゃうよ。そんなにやらなくていいから。」

と言われていました。

 

確かに、掃除をよくした次の日は疲れて、いつもより多く眠っていました。

でも寝込むほどではなかったので、余計に止まらなかったのです。

 

また、遠出もよくしました。

車で1時間かけて出かけて、遊んで帰ってくるなんてことをしていました。

しかもそれが、午後の2時近くになって突然思い立って出掛けていたのです。

今考えても、少し躁ですよね。

まぁ計画していて朝から出掛けるのも躁ですが・・・。

 

 

運動もよくしました。

ウォーキング、サイクリング、筋トレなど。

これらも1時間以上やってました。

しかも毎日です。

軽い運動を毎日なら分かるのですが、毎日1時間以上のハードな運動をやっていたのです。

 

ウォーキングするのも、近所を一周じゃなくてわざわざ遠出して、湖を一周するなんてこともしてました。

まぁそれ自体はいいことなんですが、躁の時にやっているので、近所じゃなくて遠くに出かけて行ったのだと思います。

 

ジムに出かけて器具を使ってハードに運動してみたり、

その翌日には、遠出してウォーキング、

またその翌日に、サイクリングを1時間以上、しかもアップダウンのある坂道を含むハードな道を1時間以上です。

 

今考えてもやりすぎでした。

毎日運動したほうがいいとは言っても、こんなにやっていたらそれはハイです。

しかし、自覚がないので、周りが止めないとやめません。

といっても、家族もそこまで躁だとは思っていなかったし、私も自覚がなかったので、調子がいいままに出かけては運動していました。

 

 

あと、この時期にハマっていたのが、不用品の処分です。

メルカリやリサイクルショップに不用品を持ち込んで処分したりと、いらないものを売りまくっていました。

部屋をスッキリさせたかったのだと思います。

こういう模様替えをしたり、不用品を売ったり、綺麗にしたい衝動というのも躁状態に起きやすいことです。

思い付きを止められないのです。

 

これも、掃除をしすぎると共通していた部分だと思います。

思い付きでどんどんやってしまうのです。

家族もやりすぎているとわかっていたのかもしれませんが、そこまで極端じゃなかったために見過ごされていました。

 

 

こうして、正常範囲内とはいえ躁状態になっていた私は、それに気づかないままに躁状態の日々を過ごしていました。

躁状態で過ごしていた期間はおそらく2か月半はあったと思います。

これだけ躁状態が長く続けば、もう疑いようもなく双極性障害(双極症)です。

 

ですが、この頃の私はまだ自分が本当に双極性障害なのかどうか、少し疑っていました。

だって、双極性Ⅰ型の人ほどはっきりとした躁状態はなく、自分のどこに躁状態があるのかさっぱりわかりません。

躁状態がある、と言われても、それがどこかわからないのですから、少しは疑いたくもなります。

主治医が言うならそうなんだろうと思って、信じて治療を続けていました。

 

 

しかし、このあと、否が応でも自分が双極性障害だとはっきり自覚する出来事が待っています。

そのことについては、また今後触れていきたいと思っています。

 

 

 

さて、今回は、回復期の前期の続きを綴ってきました。

この頃はまだ、鬱が強く、一度うつ状態になると頭が鈍くなり、手順などの判断が出来なくなっていました。

しかし、そこから回復すると、その反動で躁状態になっていることに気づかずに、躁状態を正常状態だと思い込んで、生活していました。

躁状態は、自覚がないというのは本当だったんだと、あとで振り返って思ったものです。

 

 

次回も、この続きを綴っていこうと思います。