双極性障害 虎の巻

双極性障害を患った人間が綴る、双極性障害完治への過程や双極性障害とは何かを綴る闘病記

回復期(前期)の症状とどのように過ごしていたか(1)会社を退職する

さて、今回から、回復期に入ってからどのように過ごしていたかを綴っていこうと思います。急性期から一つ進みました。

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回復期を図に表すとこのようになります。

急性期と比較すると明らかな違いがあるのがわかるでしょうか?

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波の底辺の位置が少し上がっているのがわかります。そのため、全体に波が押し上げられて、波の高いところが正常範囲にかかってきています。

これが回復期です。

 

 

急性期はおよそ3か月くらいだったと思います。

その間に、会社員が向いていないとわかり、会社を辞めることを考え始めたのが急性期の終わりごろでした。

 

回復期に入って、さっそく会社を辞めることを真剣に考え始めます。

この頃はだいぶ判断力も回復してきたので、『決断』しても大丈夫だろうと主治医のお墨付きもありました。

 

『決断する』という作業も、急性期の時には絶対にしてはいけないことのひとつでした。

急性期は判断力が鈍っているので、その時に周りも大きな決断を迫るようなことをしてはいけないし、本人も回らない頭で決断はしてはいけません。判断力が鈍っているのに冷静な判断なんてできるはずがないからです。

しかし、急性期を過ぎればそれも落ち着いてきます。

回復期に入る頃には生活も落ち着いてきて、判断力も少しずつ戻ってくるからです。

 

 

回復期に入って、私は少し遠出もできるようになりました。

友人に会って、近況を話したり、これまでの経緯や今後のことを相談したりしました。

気の置けない友人と会うのは、気分転換にもとてもいいことです。といっても、はしゃぎすぎには注意ですが。

 

はしゃぎすぎると一時的に躁になってしまします。

この時期はまだ、急性期よりはマシになっているというだけで、まだまだ『体力』がありません。

体の体力もそうですが、『心の体力』とでもいうものがついていません。

心のアップダウンにまだついていけないため、はしゃぎすぎると翌日死んだように眠る羽目になります。反動がすごいのです。

 

 

また、会社を辞めることを考えると、それはそれで胃が痛くなったりもしていました。

その場面を想像するだけで、

「こんなこと言われたらどうしよう。なんて言えばいいんだろう」

とか

「こんな風に思われていたらどうすればいいんだろう」

などと、言われてもいないことを妄想しては自分で苦しんでいました。

 

気がおかしくなりそうだと主治医に泣きついたりもしました。

主治医には、

「それは想像でしかないよね?実際にその場面になってみないとそうなるかはわからないでしょ?

これを言われたら嫌だ、というのがあるならば、先に「私は今はこういう状態なので、○○のようなことを言われると動揺してしまいます。ですので、そういういい方はしないでいただきたいです」って言っちゃえばいいんだよ。

手紙でもメールでもいいから、会社に実際に行く前に、そう伝えてしまう。そうすれば、嫌なこと言われずに済むでしょ?

どうやったら動揺せずにやり過ごせるか、自分を守るために自己主張するのも大切なことだよ。気を遣って自分を押し殺して、その結果病気になったわけでしょ?だったら変えないと。

あとになってあれが嫌だったこれが嫌だったというのは卑怯なんだ。嫌なことは先に言う。その場で言う。これも大切な訓練だよ。」

と諭されました。もっともだなと思います。

 

 

かくして、会社を辞める決意を固めて、何をどのように伝えるかもしっかり決めて、いざ会社に行きます。

 

話し合いはすんなり終わりました。

こちらが拍子抜けするぐらい、あっさり了承してもらえました。

しかし、問題はここからです。

  • 私が会社員が向いていないから辞めるという事情まではわかっておらず、あくまで精神疾患のせいだから、治ったらまた働けばいいと言われる(ありがたい話なんだけど)。
  • お茶飲んで行けと言われて、ほかの職員とも顔を合わせてお茶を飲まされる
  • そうこうしている間にどんどん体調が悪くなって、荷物の片付けもそこそこに強制退出になる
  • 帰りの車の運転中から頭が割れるような頭痛に襲われて、這う這うの体で帰宅する
  • 布団にバタンキュー

でした。

 

あんなひどい頭痛は生まれて初めてでした。

頭が痛すぎて運転できないなんて、それも今までで経験したことのないほど強烈な頭痛でした。

会社に行く、退職を申し出るというのは、それだけのストレスのかかる出来事だったんだろうと思います。

そうやって、どうにか家に帰り着いて、すぐ頭痛薬を飲んで寝たら、その日はとりあえず回復しました。

 

 

しかし、地獄はここからです。

 

その翌日から、胃が痛くてご飯が食べられなくなりました。朝も起きられません。

それまでの体調の安定はどこへやら、2カ月前に逆戻りです。

また毎日うどんやら胃に優しいものしか食べられない日々に戻ってきてしまいました。

 

食べられないというのは、とにかく辛い。食べられないせいで、元気までなくなります。

今日は食べられそう、と少し調子に乗って食べ過ぎると、翌日また食べられなくなります。そんな日々が3週間は続きました。

胃薬飲んでるんですけどね。それでも簡単には治ってくれませんでした。

 

 

その間にも、会社に、回収しきれなかった私物の郵送をお願いしたり、書類のやりとりをしたりと、またストレスがかかることが続きます。

最終的に会社には、こちらの事情(心情も含めて)説明し、最低限のやりとりに抑えてもらうことにしました。

会社は悪くないんですけどね。ただ会社とやりとりをすると、どうしても会社にいた頃の遠慮して言いたいことが言えない自分に戻ってしまいます。

会社に気を遣ってしまって、ずけずけと物が言えない自分が出てきてしまうので、しかし今回ばかりは、これも訓練と思って、こちらの事情をずけずけと言うことにしました。

そうしたら少しスッキリしました。ストレスも減りました。

この頃から、胃の調子も落ち着いてきたように思います。

 

 

胃の調子が落ち着いてからは、少しずつ元気を取り戻していきました。

また朝起きて洗濯と掃除ができる日々が戻ってきました。

なによりご飯が食べられる、それだけで素晴らしいと思いました。

 

 

そうして、どうにかこうにか無事に退職手続きを終えることができました。

晴れて無職です(笑)

 

 

この頃に出ていた症状をまとめてみようと思います。

・頭痛

・胃痛

 

症状としては少ないです。しかし、頭痛は強烈でした。

あと、胃痛も今回は長く続きました。

どうにか治まってくれて本当によかったと思います。

 

 

今回は、回復期の経過を綴ってきました。次回もこの続きを綴っていこうと思います。