双極性障害 虎の巻

双極性障害を患った人間が綴る、双極性障害完治への過程や双極性障害とは何かを綴る闘病記

急性期をどのように過ごしていたか(2)

さて、前回も急性期をどんな風に過ごしていたかを書きましたが、その続きです。

 

双極性障害と診断され、同時に2か月の休職の診断書を出されたわけですが、当然たった2か月休んだくらいじゃ治りません。今2年近く経ってますがまだ治ってないんですから。

 

2か月が過ぎる頃は、まだ調子のいい日が悪い日を少し上回るくらいで、まだまだ仕事に復帰できる状況ではありませんでした。

休職を言われたときは、「2か月だなんて、なんて長いんだ。そんなに休んだら会社に迷惑をかける」と思いましたが、2か月が経つ頃には「あぁ、まだまだ全然治ってないんだな。とてもじゃないけど仕事に復帰なんてできないや。」と状況を冷静に見つめていました。

 

 

休職してから2か月が経ってしまう前に、診察に行き、休職期間を延ばしてもらう診断書を書いてもらいました。というか主治医の判断で延びました。

そして、その足で会社に行き、休職延長させてくださいとお願いにいきましたが、ここからが大変でした。

 

 

会社自体は問題なくて、再び快く承諾してくれて、しっかり治してから戻っておいでと言ってもらえました。

しかし、主治医の言っていた通り、「病気を発症した現場に行くことそのものがストレスになる」というその言葉通りに、

会社にいたのはものの30分間でしたが、帰る頃には激しい頭痛に襲われて、運転するのもやっとでした。

家に帰りついてから速攻で寝て、その日から3日間寝込みました…。

 

 

会社自体は決して嫌いではないんです。みんな人も優しいしよくしてもらいました。

ですが、会社に行くと頭痛が止まらなくなるんです。

皆さん良かれと思って色々声をかけてくださるんですが、かえってそれらがプレッシャーになるのと、

会社にいると、発症時の自分のキャラクターに戻ってしまう、そのように無意識に振舞ってしまうらしく、発症時の状況に体が逆戻りしてしまったのでした。

 

会社には今後のことを相談しに行かなければならないので、どうしても通らなきゃならない道ではありましたが、それでも体にとってはなかなか堪えた出来事のようでした。

 

 

 

それ以後も、傷病手当金の申請の際に会社と書類のやりとりをしなければならなかったのですが、そのやりとりも苦痛で仕方ありません。

休職直前の会社に行けなくなった頃に起きていた「ほっといてくれ」精神じゃありませんが、会社とやりとりする度に、「お変わりありませんか?」などの気遣ってくれる言葉が重くのしかかってきたのでした。

 

せっかく気にかけてくれて言ってくれているのに、「頼むから何も言わないでほしい。私には構わないでほしい。」と思ってしまうのでした。

そんな状態なので、会社から書類が来ると胃がキリキリして、手紙のやりとりも用件だけを殴り書きしたような酷い手紙を送っていました(-_-;

そんな状態が再延長した2か月間続いていました。

 

 

主治医にも、診察の際に、こんな状態だと告げると、「会社とのやりとりに凄く苦痛を感じるんだね。何か【会社】っていう存在との間に関係がありそうだね。そこのところを詳しく掘り下げてみようか。多分、それが分かれば解消されると思うよ」と言われ、会社と自分との関係を振り返ってみることにしました。

 

 

思えば、私は会社という存在と上手く関われた試しがありませんでした。

会社といえば、我慢するところ、自分を表現できないところ、周りとも上手くやっていかなければならない場所、と私の苦手なものが揃っている場所でした。

 

会社員をやっていると、どうしても周りの粗に目が行きます。

「なんであんなことしてるんだろう、もっと効率的にやればいいのに」

とか

「なんであの人はいつもああなんだろう、どうして成長しようと思わないのか」

とか

「なんでこんな非効率な仕事のやり方をしなきゃいけないのか、私ならもっとこうするのに」

とか、色々考えてしまいます。

 

 

それを、飲み込めたらいいのですが、どうやら私は飲み込めない性格らしく、その度に苛立ったり怒ったり絶望したりしていました。

そして、いつも「私は会社員に向いていない」と思っていました。

 

周りの人に相談しても、

「会社ってそういうもんだから」

とか

「我慢するしかないよ」

とか

「会社員に向いてる人なんていないよ。みんな適当に折り合いつけてやってるんだよ」

とか言われるだけでした。

 

 

それはわかっているんです。

みんな同じように思っても我慢したり折り合いつけてやってるって。

それが会社員だって。そういうものだって。

 

でも、それができないんです。

 

どうしても我慢したり、折り合いつけたりできない。できることなら『頑張って』我慢したり折り合いつけたりしたい。なのに『頑張って』もそれができない。

 

もはや私に問題があるとしか思えませんでした。

 

 

なので、発症前に今の主治医のところに、発達障害を疑って診察にかかったのですが、

その際は発達障害じゃない、という結論しか得ていませんでした。

 

 

 

今回、そういった今までの会社と自分の関係を振り返って、主治医と話したところ、

「医者と似てるね。医者も妥協しちゃいけない。常に自分を高めることを考えてる。

そういうどうやったら今より良くなるかを考えてる性格だから、多分適当に折り合いつけるとか、妥協するってことができないんだよ。

方法は2つしかない。誰もサボる人がいない少数精鋭のバリバリの仕事集団で働くか、今の半分しか仕事をしないように自分を抑えて働くか。どっちがいい?」

と。

また、同時に

「発症した場所で働くのは大変だよ。どうしても、発症前の自分のキャラクターを求められる。

そのキャラクターで無理をしたから結果的に病気を発症したわけで、その場所に戻っていくと、否が応でもそのキャラクターの自分に戻ってしまう。周りからも『そういう自分』を期待されるしね。

それでも会社で働きたいっていうなら、そういうプログラムを考えるけど、会社を辞めるってほうが医者としては治しやすいよね。」

とも言われました。

 

 

的を得ていると思いました。

私がこれまで長いこと悩んできた、「なぜ妥協できないのか?」に答えが出た気がしました。

 

「私は、会社員に向いていない。」

 

今まで何度となく思ったことが正しかったと証明されたのでした。

 

 

 

しかし、これは私に場合であって、双極性障害患者さんが皆さん会社員に向いてないわけではありません。

たまたま私は向いていなかったというだけで、会社員を続けながら病気と闘っていらっしゃる方も当然います。身近にもそういう方もいましたが、その方は決して会社が嫌いなわけでも会社員が嫌なわけでもなかったそうです。

 

 

また、双極性障害躁うつ病)と診断される方には、会社でも優秀な方や、会社の社長さんなどの優秀な人材も多くいるそうです。

これは以前から統計でも言われていることです。

それと、躁うつ病は職場の第一線を担う人に出現しがちな病気でもあります。

リーダーシップのある人、ここ一番の集中力に勝る人、機転や洞察に優れた人、人当りが良く包容力のある人、熱意をもって仕事に臨める人 etc……。

こういった、社内で評価されやすい人が躁うつ病にかかることは、意外と多いのです。世間では「うつ病は誰もがかかる病気」と言われますが、そんなことはありません。ある種の優秀な人々は、どうやら、うつ病を飛び越して躁うつ病になってしまうことが多いようなのです。

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私の場合は、会社員に向いていないという事実を突きつけられて、私自身もそのことに納得をしていましたので、医師の助言に従って、会社を退職することにしました。

 

それが、再延長した2カ月目、休職から4か月経つ頃に決断したことでした。

 

 

この頃には、決断力が戻ってきていました。

まだこれが急性期の、休職した直後の回らない頭だったら絶対に決断もできないし、判断力もないし、というかそんな状態では絶対に重大な決断はしちゃだめです。

絶対にダメです。

 

 

決断力が戻るくらいには回復していた私だからこそ、この「退職」という選択ができたのだと思います。

 

 

そうして、退職することを決意して、意を決して会社に向かうのですが、そのあともまたひと悶着ありますが、それはまた次の機会に。

 

次回以降、この続きや回復期に入ってからの状態について綴っていこうと思います。