さて、前回急性期に起きていた症状に特化して記述しました。
急性期はひたすら鬱でした、と前回書きました。
まさにこんな感じです。
正常範囲にまるでかかっていません。波の高い位置ですら鬱です。
そんな状態の急性期を、私がどんなふうに過ごしていたかを綴っていこうと思います。
正直、この頃のことを思い出すのは苦労しました(^-^;
私は双極性障害と診断されて、まず2か月間会社を休職することになりました。
まぁ、2か月でなんて絶対治らないんですが、今となってはそう思いますが、当時は
2か月という休職期間を突き付けられて「なんて長いんだ」と絶望したのを覚えています。
だって、せいぜい休むのは1か月程度かと思っていましたので、2か月も休まなきゃならないほど自分は悪いのかと現実を突きつけられて絶望的な気持ちになっていました。
この頃は、そういう絶望的なものを突き付けられるたびに泣いていたのを思い出します。
急性期の症状によく泣くということがあります。
まさにそれが当てはまっていたわけですね。
本題から外れますが、双極性障害と診断されたときに、医師から「身近にすぐに落ち込んでしまう人はいますか?」と質問されました。
この『すぐ落ち込む』というのも双極性障害によくあるの症状です。
身近にいるかという質問は、双極性障害は近親者に双極性障害患者がいると発症しやすいと言われています。ですが、決して遺伝病ではありません。
神経伝達物質が変化してうつや躁になる理由は、まだはっきりとはわかっていません。体質的に、これらの伝達物質に対する細胞内の情報伝達系(イノシトールリン脂質系など)が不安定であるため、あるいは気分をコントロールする神経の働きが弱っているためかも知れません。これらの体質は、多数の遺伝子と環境の相互作用によって決まると考えられており、双極性障害は一つの遺伝子の異常で起こる遺伝病ではありません。
癌も遺伝しやすいと言われていますが、決してそれで全員がガンになるわけじゃないのと同じです。
つまり、落ち込みやすい人が近親者にいれば、それが双極性障害と判断する一つの手がかりになる、程度の話だと思ってください。
話を戻すと、休職するという診断書を持って会社に行き、上司にその旨を伝えた時も泣きながら話していました。
とにかく、休まなきゃならない不甲斐なさや、会社に迷惑をかける申し訳なさ、そんなに自分の状態が悪いということを受け入れなきゃいけないという絶望など、いろんな感情が入り混じって泣きながら話していました。
会社はとても理解のある会社でしたので(適応障害と診断されていた頃も半日勤務にするという診断書を出していましたが、その時も快く承諾してくれていました)、今回もしっかり休みなさいと言ってくれました。
その間に、特に必要がなければ会社に連絡を取ることも求められませんでした。これがとても有難かったです。
人によっては、医者に行く度に連絡してくださいという会社もあるようですが、うちはそういったことは無かったので、休むことに専念出来てありがたかったです。
なんせ、当時は2週間に1回のペースで診察に行っていたので、毎回会社に連絡を入れるなんて考えられません。苦痛でしょうがないです。
医師にも言われましたが、発症した場所というのはそれだけでストレスになるそうです。
会社自体は好きでしたし、恩も義理もあるのですが、そういった情とは関係なく体が反応してしまうということのようです。
ですので、会社に復帰するというのも道は険しいと、最初に主治医から言われていました。
休職し始めた当初、一日が長くて半端なかったです。
なにせ、今まで会社に行っていたのが、一日何もしなくていいわけですから、初めの頃は何をしていいのかわからない、というのが正直なところでした。
まぁ、寝てろって話なんですけどね。
それでも、少し経つとそういった生活にも慣れてきて、落ち着きを取り戻した部分はありました。
まずは、とにかく寝てました。
これは、起きてもめまいや頭痛がして起きていられないという症状のせいもありました。
また、疲れやすく、起きて活動できる時間が著しく短いということもあって、日中起きても洗濯物を干すところまではしてまた寝る、ということを繰り返していました。
ただ、それでも医師からは、「どんなに起きられなくても、朝一度は起きて、太陽の光を浴びるようにしてね。」と言われていたので、どんなに辛くても午前中には起きて、そのあとどうしてもダメな時はまた寝ていました。
これは、後述しようと思っていますが、光療法と睡眠リズムを一定にするという目的で、必ず朝は起きて目から光を入れて体内時計をリセットする、ということで朝は起きるように言われていました。
また、当時は体調のいい日と悪い日が交互にあったのですが、それは薬が影響していました。
私が飲んでいる薬は、【ラモトリギン】という薬で、この薬は皮膚障害の副作用を抑制するために、飲み始めは厳しく量を管理されています。
皮膚障害の副作用が報告されており、100人に1人程度ですが重篤な発疹(スティーブンス・ジョンソン症候群)の報告があります。
ですので、服薬を始める際は、最小量を1日おきで2週間服用する、
それで副作用が出なければ、次に最小量を毎日で2週間服用、
それでも副作用がなければ、量を倍に増やして毎日を2週間、
それでも大丈夫ならさらに増やして・・・っていう順序で、一日に飲める最大量まで増やしていきます。soukyokusho.hatenablog.jp
ですので、薬を飲んだ翌日は調子がよくて一日起きていられるのですが、薬を飲まなかった翌日は体調も絶不調でまた一日寝る生活に逆戻りでした。
これを一日おきに繰り返して、毎日服薬できるようになってからは、少しだけそれ以前より安定した感じがしていました。
ただし、調子がいいと言っても、体を起こしていられる、一日寝ていられずに済む、といったことができるだけで、調子がいいからじゃあ外に出かけてあれをしてこれをして、とは当然ながらいきません。
私が当時調子のいい日にできたことと言えば、掃除・洗濯ができるくらいでした。
でも、それができるということは当時としては調子がいい証拠でしたので、掃除と洗濯ができた日は純粋に嬉しかったことを覚えています。
当時の私は、何一つ満足に生活を送れていませんでした。
朝は起きられない、起きてもめまいがしてすぐまた寝てしまう、そういった状態の人間にとっては、『当たり前の生活』ができることに憧れていたのです。
当時の私にとっての憧れは、
- 朝起きられる
- 洗濯ができる
- 掃除機がかけられる
たったこれだけでした。
でもたったこれだけのことが出来なくて、たったこれだけのことが出来る日が嬉しくて仕方なかったのです。
急性期というのは、そんな日々でした。
しかし、調子がいいという基準も実はあいまいなものでした。
まず、朝起きられるかどうかで最初の『調子がいい』かどうか判断します。
朝起きて、「今日は調子が良さそうだ。よかった」と思って起きて洗濯ができたとしても、その2時間後には「あれ?なんだかフラフラするぞ?おかしいな。起きていられないや」と、調子が良かったはずなのにまた調子が悪くなってしまう。
そんな日々の繰り返しだったのです。
朝の状態では決して調子の良し悪しを判断できませんでした。
しかも、たった1~2時間の間で調子が一変してしまうんです。
それが何より辛かった。
せっかく朝起きて調子がいいと思ったのに、なんでその調子がたったの2時間で変わってしまうのか、2時間前はあんなに動けたのになぜ今は布団に横になっているのか、
そう思うと、悔しくて悲しくて、よく泣いていたのを思い出します。
この『めまい』には、随分と長いこと悩まされました。
急性期を過ぎても、回復期でもうつ状態になると毎回出現していたと思います。
それくらいこの『めまい』は手強いものでした。
それでも、薬が毎日飲めるようになった頃、休職してから1か月程度が経ってからは徐々にですが、調子のいい日(掃除・洗濯ができる日)と調子の悪い日の割合が、だんだん調子のいい日が増えていったように思います。
といっても、7日のうち4~5日調子が良くて、3~2日調子が悪い、とかそんな程度ですが、それでも毎日調子が悪かった頃に比べたら大きな進歩です。
でも、お天気にも随分と左右されました。
よく雨の日は片頭痛が起きる、なんて言いますが、それと同じことのようで、自律神経に影響するらしく、天気の悪い日は寝てる日が多かったです。
朝はやる気満々だったのに、結局寝てる、なんて日が多々ありました。
特に、私の急性期は秋~冬でしたので、余計にお天気の影響を受けました。
それでも、休職して2か月が経つ頃には、友達と外に出かけることが出来るまでに回復しました。
まだ出掛けられる時間は短かったですが。それでも出掛けられたことがとても嬉しかったのを覚えています。
友人と会ってリフレッシュすることもできたので。
急性期の頃、休職して2か月程度までを振り返って、どんな風に過ごしていたかを書いてみました。
ひたすら鬱でしたので、辛かった記憶とあと正直何をしていたのかよく覚えていないという(苦笑)
でも、こんなことがあったな、あんなことを思っていたな、と少し思い出すことが出来たので、急性期を乗り切る少しでも参考にしてもらえればと思います。