双極性障害 虎の巻

双極性障害を患った人間が綴る、双極性障害完治への過程や双極性障害とは何かを綴る闘病記

発症直前に起きていたこと(3)

前回は、ハードワークがたたって適応障害と診断され、勤務時間を減らしたのち回復して、服薬と通院から卒業することになったところまで書きました。

今日は、それ以降、いよいよ双極性障害躁うつ病と診断されるまでの日々を書いていきます。

 

 

すっかり治ったと思い込んでいた私は、元の生活に戻っていきました。

以前のように、朝起きて身支度を整え始業時間までに出社する、そんな生活を取り戻していました。

 

しかし、ひとつだけ懸念材料はあったんです。

私は、心のどこかで引っかかっていたあることについて、主治医に診察で話さなかったのです。

それはほんの些細なことで、話さなくても問題無いように思えました。

でも、最後まで心のどこかで不安ではあったんです。

 

実は、通院の最後の日の直前まで、私はまだ朝起きられない日がありました。

以前ほどではないにしろ、始業時間に少し間に合わない程度の時間に起床する、そんな日々が続いていたのです。

といっても、まだ半日勤務を続けていた最中だったので、始業時間に間に合う必要はありませんでした。午後から出社すればいいのだから。

 

しかし、私が目指しているのは「元通りの生活」です。

フルタイムでの勤務ができなければ意味無いし、治ったとは言えない。

そのためにはまず、朝きちんと起きる必要がある。

リハビリを兼ねて、朝始業時間に間に合うように起きる、という事をやっていたのに、それが完全にできるまで回復していたわけではなかったのです。

 

それでも、

「もうほとんどの日で起きれているし、体調もいいし、会社にいられる時間も以前より長くなった。仕事中に頭痛がすることも無くなった。もう大丈夫だろう。いや、大丈夫であって欲しい。」

そんな復帰を焦る気持ちから、その日の診察でどうしても治ったと言ってほしかった私は、半ば強引に完治したとお墨付きをもらい、早速翌日からフルタイムでの勤務を開始してしまったのです。

 

しかし、異変はすぐに現れました。

 

 フルタイム勤務に戻って数日が経ったある日、どうにも朝から鈍く頭痛がしていました。

でも、「気のせいだろう。しばらくすれば治るだろう。」と軽く考えていた私は、そのまま出勤してしまいます。

午前中はそれでも仕事をこなせていたのですが、午後になってくるとどうにも耐え難い激しい頭痛に変わってきてしまいました。

おかしいな?なんでこんなに頭痛がするんだろう?

今日は天気もいいし、頭痛が起きる要素なんてないのにな?

そんな疑問を抱えながら、しかしどうにも耐えられなくなってきてしまったので、結局その日は早退することにしました。

 

その翌日は、何事もなかったかのようにケロッとしていました。

昨日の頭痛はなんだったんだろう?でも治ったからいっか。

と、軽く考えていた私は頭痛が起きた事なんてすぐ忘れてしまいます。

しかしそれも束の間、すぐ第二波が襲ってくることになります。

 

その翌週、私は熱を出します。

それ自体はたまたま菌が入り込んで悪さをしただけだったのですが、その出来事で私は気分が酷く落ち込んでしまいます。

せっかく良くなったのに、なんでこんな事で会社を休んで迷惑かけて、私はなんて愚かなんだ、どうしてすんなり良くなってくれないんだ、早く完全な状態で仕事に戻りたいのにどうして体が言う事聞いてくれないんだ、治ったはずじゃなかったのか?

そう言えば先週の頭痛ってなんだったんだろう、まさか治ってないサインだったのかな、復帰を焦ったせいで間違ってしまったのかもしれない、本当は治ってなかったんだ、なんて私はバカなんだ。

そう、実際私は治ってなかったのです。

涙が止まらなくなり、また仕事が手に付かなくなってしまいました。

 

私は再度、主治医の元に行きました。

状況を説明し、どうすればいいのかと聞きましたが、主治医も「治ったはずなんだけどな?おかしいね?体から来る不調ってことはない?体の方がまだ治ってないから心も不調ってこともあるよ?」と取り合ってくれません。

しかし、熱を出した原因はすっかり治っており体は正常です。心だけが問題なのです。

主治医も不思議がりながらも、とりあえず薬を変えてみようと言う事になり、処方してくれました。

 

しかし、薬を飲んでも変化はありません。むしろ悪化するばかりで、適応障害と診断され半日勤務を言い渡された時よりも状態は悪くなっていました

 

 

朝は起きられず、会社に行きたくありません。午後やっと起きてもまた寝てしまいます。

何もしたくありません。酷い頭痛で体を起こしていられません。

頭の回転が鈍く、何をするにも手順が決まらず出勤前の準備も今までの倍の時間がかかるようになりました。

物事に興味が湧きません。もう随分と笑っていません。

 

結局私は、欠勤と出勤を交代で繰り返すようになってしまいました。

 

 

季節は、ちょうど秋。

主治医は、もしかしたら、と季節性のうつ病の可能性を指摘しました。

冬季うつ病とも言いますが、冬の日照時間が短くなる時期に起こるうつ病の事をいい、北欧など緯度が高い地域では特にメジャーな病気です。

現在の私の状態はまさにうつ状態に近い。季節もこれから冬に向かってだんだんと日が短くなっているし、それによるものかもしれない。ただ、まだ断定はできないと。

そして、またしばらくは薬を飲み続けたまま様子をみようという事になり、私はまた通院生活に逆戻りです。

 

 

そして、さらに2週間が過ぎようかという頃、

どうにか続けてきた出勤ですが、ある日限界に達し、ついに出社できなくなりました。もう会社に連絡を入れる事さえできない状態でした。

 

1週間ほど欠勤を続けてしまった私は、その状況を診察で話したところ、主治医は今までのカルテを読み返しだし、そして閃いたというように私に言いました。

「わかった!適応障害でも季節性うつでもない、双極性障害だよ!」

そして同時に

「病名がわかったからもうこれで大丈夫。ちゃんと治るよ。」と。

 

これが、私の病名が双極性障害と確定した瞬間です。

初めの適応障害と診断された時から、実に4ヶ月が経過していました。

 

 

 その後、私は正式に休職届を会社に提出し、休職することになりました。

 はじめは2か月の休職ということで診断書を出しましたが、最終的に休職期間は5か月になり、その5か月目が終了するときに結局会社は退職することにしました。

 

そして、現在まで続く治療生活が始まったわけです。

 

 

 ここまでが、私の双極性障害発症までの経緯をまとめたものです。

適応障害と診断されてから4か月、双極性障害と診断されたときは「適応障害じゃなかったんだ」という思いと、「でも、病名が分かってよかった。これで良くなる。」と安堵の気持ちでした。

 

4か月という期間ですが、双極性障害患者の平均の双極性障害と確定診断されるまでの長さに比べたら、おそらく短いほうだと思います。

双極性障害患者さんの中には何年もかかって双極性障害という病名に辿り着いている人達が多くいます。その点、私は早く分かって運がよかったと思っています。

 

病気になったことは、傍から見れば不幸に見えるかもしれませんが、私は今でも自分はラッキーだと思っています。

実は、現在もお世話になっている主治医のことは、会社の方に教えてもらったのです。

その意味でも、私は退職はしましたが、今でも勤めていた会社には感謝していますし、休職も快く承諾してくれて、本当に恩を感じています。

 

いい会社といいお医者様に出会えたおかげで、早く確定診断されて治療に臨むことができた。「私はなんてツイてるんだ」と。

ちなみに、主治医には、「いやー、○○さん(←私の名前)のケースは難しかったよ~」と言われましたが(^^;

何がどう難しかったのかは聞きませんでしたが(笑)

 

主治医はそう言っていましたが、確定診断までたったの4か月で済んだことは、本当にラッキーだったと今でも思います。

主治医もとてもいい人で、つくづくこの病気は『どんな医師と出会うか』が大事だな、と思います。

 

 

さて、ここまで発症直前に起きていたことを時系列を追ってまとめてきましたが、何がどう起きていたのかがわかりづらかった方もいるかもしれません。一連の流れをすべて読まないとわからない部分もありますので、次回はもう少し「起きていた症状」だけを抜き出す形でまとめてみようと思います。